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1場所で即陥落も制度上存在

かつては1場所で即陥落も制度上存在、実際に1場所で陥落した力士も存在する。2場所連続負け越しでの大関よりの降下は、1927年の東西合同以来の諸制度の確定の中で定着した(但し、1929年(昭和4年)から1932年(昭和7年)までの2場所通算成績などで番付を編成していた時代には、必ずしもこの限りではない)。なお、戦前には大関からの陥落は必ず関脇になるとは限らず、小結まで落とされた例も存在していた(千葉ヶ嵜俊治参照)。

しかし、1958年(昭和33年)に、年間6場所制度が実施された時には、2場所では厳し過ぎるということで、3場所連続の負け越しで関脇に陥落としていた。ところが、それでは甘過ぎるという批判の声(琴ヶ濱貞雄参照)もあって、1969年(昭和44年)7月場所より、「2場所連続で負け越した場合、関脇へ降格する。しかし、降格直後の場所で、10勝以上の勝ち星を挙げれば、大関に復帰出来る」という現行の制度が施行された。

尚、公傷休場はこの場所数にはカウントされなかったが、本場所での負傷に対する公傷制度は2003年(平成15年)11月場所を以て廃止された。

この制度で関脇から大関に復帰したのは4人(三重ノ海、貴ノ浪、武双山、栃東)のみである。その内、三重ノ海は後に横綱昇進を果たしており、栃東は唯一2度の大関復帰を果たしている。貴ノ浪は1度大関に復帰したが、その後再び大関を陥落しており、2度の大関復帰はならなかった。復帰の場合は、新大関に昇進するのと同様に新番付発表を待たずに、大関復帰が決定した場所の直後から大関として扱われる。また、大関への再昇進伝達式は行われない。なお、魁傑は大関を陥落した翌場所に10勝を挙げられず、平幕に落ちた後、この制度の恩典にあずからずに大関に復帰しており、この例では再昇進伝達式が行われている。

あと1場所負け越せば関脇に降格する場合角番(かどばん)と呼ぶ。その場所で8勝をあげ勝ち越せば、角番脱出となり大関に留まる。また2場所連続で負け越しても翌場所10勝をあげれば大関に復帰できるので、一旦大関になると2場所に1回の8勝か3場所に1回の10勝で大関の地位を保つことができる。一方関脇以下は勝ち越さないと番付が維持されず、勝ち越しても確実に昇格の保障が無く、特に大関陣が不調の時期にはその厚遇ぶりが批判の的となることもあった。2000年代中葉のように大関昇進前の琴光喜、関脇陥落後の雅山、かつて大関候補者の若の里といった、強い関脇が輩出しているとなおさらである。

また現行の制度だと、大関が8勝した後9勝10勝に上積みするメリットはほとんどなく(持ち給金がわずかに増える程度)、加えて負け越した場合には0?7勝の番付面の扱いも同じため(翌場所の大関としての順位に影響はあるが)、「大関互助会」などと批判されるもととなっている。特に千秋楽の取組前で、前日の14日目まで7勝7敗の大関が既に勝越し又は負越し決定、かつ優勝争いに絡んでいない大関と対戦すると、概ね勝って8勝7敗と勝ち越すケースが多い事も批判の的となっている。

引退後 [編集]
現役引退後、年寄として協会に残る場合は3年間、平年寄ではあるが委員待遇として扱われ、番付では「年寄」の上位に置かれる(序列は委員待遇の平年寄>持ち名跡で襲名した平年寄>借り名跡で襲名した平年寄)。また1997年5月1日以降は、年寄名跡を取得していなくても引退から3年間四股名のまま年寄として残ることができるようになった(この特典は、引退から3年以内に玉ノ井部屋を継承予定の栃東が初めて利用)。

委員待遇の3年を経過すると主任(番付上は昇格となるが、収入は減る)になることが多いが、3年以内に審判委員に起用されるケース(魁傑、武双山など)もある。
ニンソウ フウラン ヒップ バビリン 竹の舞 しずくいし ヤッピ つばめ くりたけ クラー うたま ウシや ガーズ オーデエ タッチ じょうぼう モウセン セプタム パラセ スパイク フェロ くらし やさしい サブミッ コール スイマー フラン フマン スモー ちずい バスラ ほこたし クロムダ プレパラー つるむ レターイン ストーン イルミネ スピンタ イルマン ルリナ テスト ばなな メリー コリン パーベ リッチ かずら ドライト オリジ

在位期間の◎は横綱に昇進、×は関脇に陥落。ほか無印は大関の地位で引退。
千代大海と魁皇については、場所数・成績共に2009年(平成21年)3月場所現在でのもの。
貴ノ花には大関在位中に「貴乃花」等への改名歴がある。
貴ノ浪は在位35場所目の1999年(平成11年)11月場所で1度目の陥落、翌2000年(平成12年)1月場所に関脇で10勝を挙げ復帰。復帰後在位2場所目の2000年(平成12年)5月場所で2度目の陥落、大関在位合計は37場所。
豊山の在位中と琴櫻の昇進時には「3場所連続負け越しで降格」の制度。1969年7月から現行制度。
年6場所制の1958(昭和33)年以降の記録(現役の琴光喜・日馬富士を除く)。それ以前では、五ッ嶋の2場所(12勝13敗5休、関脇陥落)が昭和以降での最短記録であった。
在位期間の×は関脇に陥落。無印の増位山(太)は大関の地位で引退。
雅山と出島は、現在も関脇以下の地位で現役中。
魁傑は在位5場所目の1975年(昭和50年)11月場所で1度目の陥落。その後1977年(昭和52年)1月場所後に再昇進が決定。復帰後在位4場所目の1977年(昭和52年)9月場所で2度目の陥落、大関在位合計は9場所。
前の山には大関在位中に「前乃山」からの改名歴がある。
霧島は大関在位中の1991年1月場所で幕内優勝を果たした。
連続大関在位場所数の見方をすれば、貴ノ浪・武双山・栃東の3人が2場所で陥落の最短記録を作っている。貴ノ浪は再大関でのもの、武双山は陥落後直ぐに返り咲き、栃東は再大関で陥落するも直ぐに再々昇進を果たし、通算在位場所数としてはそれぞれ貴ノ浪37場所、栃東30場所(番付上は31場所)、武双山27場所となっている。なお貴ノ浪は、連続大関在位場所数の長期でも短期でも、歴代ランキングに顔を出す珍記録も持っている。

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2009年04月03日 10:13に投稿されたエントリーのページです。

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