1594年に長眞氏旨屋(ちょうしんうじしや・琉球王国の官吏であり、後の役職は砂川親雲上)もしくは、ウプザ・ガーラ(標準語に直訳すれば・大座のカシラ)(字松原出身の船頭)という人物が、沖縄本島より宮古島への航海中嵐に遭い、明・福州(福建省)まで漂流し、1597年にそこから金藷という品種の甘藷(サツマイモ)を持ち帰ったという伝承がある。真実であれば、宮古島が現在の日本国の領域内(歴史上、宮古島が日本領となるのは、1609年・薩摩藩の侵略以後)で最も早く甘藷が伝来した場所になる。
これは、沖縄本島読谷村に野国総監が、甘藷を伝えたのより7年も早い。109年後の1706年に宮古島・蔵元より琉球王府に報告された『御嶽由来記』という書物に記されている。しかし、『御嶽由来記』は、宮古島の神話や伝説を記述した本であり、明国・福州にルソンより甘藷が伝来したのは、旨屋が福建省に漂着したのと同じ1594年のことであるから、その真実性を疑問視されている。またこの甘藷が、宮古島を経由して他の地域へ伝わったということは、伝わっていない。
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ちなみに、長眞氏旨屋(字松原・字久貝では、ウプザ・ガーラ)に対して宮古島の人々は、ンムヌシュウ(宮古方言)(芋の主・甘藷神)として、芋報礼(ンムプーリ)という感謝祭を昭和の中ごろまで捧げていた。しかし、宮古島でのさつまいもの栽培が廃れると次第にこのンムプーリも盛大には行われなくなった。
1873年7月9日、宮古島南岸、上野村沖でドイツ商船「R・J・ロベルトソン号(エドヴァルド・ヘルンツハイム船長)」が台風のため座礁した。この船は中国の福建で茶を積み、オーストラリアのアデレードへ向かう途中だった。